幼少期と小学校時代
ぼくは、とっても緊張度の強い子どもでした。
小学校1年生の集合写真でも、「マジメに撮られねば」と胸を張り、口を一文字に結んでいるような子だったのです。

そして、心身相関がわりと強く、午後にサッカー部の試合があると、昼食はチャーハン3粒しか食べられないくらい「お腹に影響の出やすい」子でした。
それから給食が大の苦手。
もはやこれは心理的症状で、4時間目の終わりになり、給食の匂いがしてくると、ギュッと食道が縮まる感じがしたものです。
それ以外にも修学旅行では夜、寝られない。
家族旅行でもクルマでは寝られないとようなナイーブさを持ち合わせていました。
それから、1年生のころ臨海学校の帰りのバスでウンコをもらしてしまったからか、大便に対して異常に執着がありました。
朝はかならずウンコをしてからでないと学校にいけないということで、毎朝40分ほどトイレにこもっていまました。(家族もトイレに行きたくなるので「途中交代制度」があったww)
今だったら心療内科に連れていかれそうな症状ですが、親が「変な子」として認めてくれていたので、病院にか行かずに助かりました。
それに比してお勉強は得意で、小学校では6年間、「しっかり者のキャラ」として学級委員を務めました。
ぼくは、「勉強が得意なキャラ」であり、同級生に算数などを教えてあげることがよくありました。
求心力を失った中学時代
小学校では割とリーダー的な存在だったと思いますが、中学に入り、ヤンチャな友人が増えてくると、緊張度が強くマジメなぼくは、次第にリーダーシップを失っていきます。

かわりに「わんぱくな」少年たちが台頭していきました。
ただ、「わんぱくさ」を要求されない卓球部では、なんとかその地位を保っていて、副キャプテンとして市内で団体優勝を果たしたり、個人で入賞したりして、いちおうの「活躍」していたとは思います。

部活以外では将棋やプラモデルにハマるというオタク気質で、それは今でも変わっていません。
高校入学と、はじめての「心の不調」
高校はそれなりの進学校に入学。
すこしレベルを落として推薦受験したため、そこでも「アタマのよいキャラ」を保っていました。
ナイーブさが発揮されたのは高2のとき。
ハッキリとしたストレスを抱えていたわけではないものの、なぜかご飯が食べられなくなり
「これは精神科にいったほうがいいのではないか」
と悩んだのを覚えています。
この症状は、何のおかげか幸いにも解消し、高校生活に支障をきたすことはありませんでした。
それから童貞のまま高校を卒業し、大学に入学します。
名古屋大学に入学するもキャラが崩壊
大学ではぼくより偏差値の高いやつが多く、「アタマのよいキャラ」を返上せねばなりませんでした。
そこでアイデンティティを保つために「ヤンキー」になろうと思い、金髪にしてみました。

よく高校の同級生からは「大学デビュー」と言われたものです。
しかし、結局は見た目が垢ぬけただけで、中身はマジメなままでした。
大学1年ではじめた居酒屋のアルバイトでは、緊張で固くなりすぎて「まったく使えないバイト」でした。
電話で宴会の予約を受けるときなど
「敬語を間違えないように使わなければっ」
と考えすぎて過呼吸になっていました(笑)
とにかく緊張度の高い10代でした。
それも自分では気づいていないままに・・・
そのころのぼくは、自分に対して「緊張度が高い」とは思っていませんでした。
しかし今おもい返してみれば、ガッチガチのコッチコチに固まっていたんです。
ただ、マジメの堅物のように思われていなかったのは、ダジャレが好きだったり、「笑い」が好きだったことがあるのでしょう。(大学の卒論は「ダジャレの研究」でした)
実際、学年で作る「文集」などではクラスの「面白い人」によくランクインしていました。
それは、ぼくが知らぬうちにバランスを取っていたのだと思います。
放っておくとクソマジメなので、ふだんは笑いで身体を溶かしていたんですね。
「くそマジメ」と「ひょうきん」がいつも同居していました。
合気道にのめりこむ
さて、そんなおぜっきー、大学3年から合気道部に入部します。
合気道じたいは小学校3年生からやっていましたが、大学2年で黒帯(初段)となりモチベーションが上がっていたのです。
なので大学3年時には、町道場を2つ、部活を一つと3つの場所で合気道を稽古していました。

ハマり症なので、やるなら徹底的にやりたいのです。
朝5:30に起きて7時から大学の部活で朝練。
8時に終わり、皆が授業にいくのですが、4年時には授業もほとんどなかったので、お昼まで一人で稽古していることもありました。
その後、食堂で昼食。
図書館のソファーで昼寝して、夕方5時まえに町道場へ。
そこから夜8時まで稽古、なんて日もよくありました。
いつも道着と袴をボストンバックに入れてともに行動していました。
夏休みなどの長期休みには、近くの公園で木刀や杖(じょう)を振り回して稽古していました。
それから、合気道の本はむちゃくちゃ読みました。
当時(2003年ごろ)は、今ほど合気系の書籍がなくて、古い合気道の本などを図書館で読み漁っていました。
また科学的に技をかけるために解剖学もある程度、勉強しました。
そのときに整体の本なども読み始めたのです。
また2004年になると、合気道研究のHPを作ったり、メルマガを始めたりしました。
あとはmixiなどで募集して稽古会を開いたりしていました。
ぼくより高段者のおじさんや、10代の男の子、他大学の同学年の合気道家の人と、名古屋の柔道場を借りてやっていて、県外からの参加者もいたくらいです。
それから、いろんな道場に出稽古にいきましたね。
合気道だけでなく中国拳法のセミナーにいったり、少林寺拳法の人と交流したり、違う大学の合気道部にも参加させてもらったことがあります。
名古屋だけにとどまらず、東京や大阪まで稽古にいっていました。
もうどこまで行っても、合気道漬けの2年間でした。
しかしその間、おぜっきーの身体に異変が起こったのです。
続く